グリエルモ2世(イタリア語:Guglielmo II, 1095年 - 1127年7月28日)は、プッリャ・カラブリア公(在位:1111年 - 1127年)。プッリャ・カラブリア公ルッジェーロ・ボルサの息子。母はデンマーク王妃であったアデル・ド・フランドルで、グリエルモ2世はフランドル伯シャルル1世の異父弟にあたる。
生涯
グリエルモ2世は1111年に公位を継承し、成年に達するまで母アデルが摂政をつとめた。父と同様、グリエルモ2世もイタリアの領地を統治する能力に欠けていた。グリエルモ2世は父の従兄弟にあたるルッジェーロ2世と対立し、1121年に教皇カリストゥス2世がこの対立の仲裁に入った。グリエルモ2世とルッジェーロ2世は合意に達し、ルッジェーロはグリエルモがジョルダーノ・ディ・アリアーノの反乱の鎮圧を支援するため騎士を送り、かわりにグリエルモはシチリアとカラブリアの領地を放棄した。
1114年にグリエルモ2世はカイアッツォ伯ロベルトの娘ガイテルグリマと結婚したが、子供は得られなかった。グリエルモ2世は嗣子なく1127年7月に死去し、ルッジェーロ2世が南イタリアの領地を継承した。
現在では無能な統治者であったとされているが、同時代の人々からは尊敬され、貴族には人気があり、その武術の腕前を称賛された。
脚注
参考文献
- Houben, Hubert (2002). Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West. Cambridge University Press
- Matthew, Donald (1992). The Norman Kingdom of Sicily. Cambridge University Press




