神原村(かみはらむら)は、長野県下伊那郡にあった村。現在の天龍村大字神原にあたる。

地理

  • 山:八嶽山、天ヶ森
  • 河川:天竜川

歴史

  • 1875年(明治8年)1月12日 - 筑摩県伊那郡長沼松島村・福島村・坂部村・向方村が合併して神原村となる。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により下伊那郡の所属となる。
  • 1883年(明治16年)11月10日 - 一部が分立して長島村となる(同村は後に平岡村の一部となる)。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、神原村が単独で自治体を形成。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 平岡村と合併して天龍村が発足。同日神原村廃止。

おじろく・おばさ

旧天龍村地域のみに「おじろく、おばさ制度」と呼ばれる特殊な差別制度があった。16〜17世紀頃には存在したという。

この制度の下では、長兄のみが社会生活を営み、それ以下の弟妹はおじろく(男)・おばさ(女)として村社会から隔離され、家庭内の労働力としてのみ人生を送る。中流以上の家庭に多かったという。長男以外の次男次女以降の者が対象とされ彼らは僅かな食事と寝床のみを与えられ家長である長男一家に一生涯使用させられていた。 彼らを使用する家は幼少期から長男以外を世間との繋がりを強制的に絶たせ、長男に言われたことのみをする無感情なロボットになるよう仕向けた。彼らは20代になるまで正常な人格であったがおじろく、おばさとして奴隷化が進むと共に精神疾患を患っている。明治5年には190人、昭和40年代でも3人いたという記録がある。

彼らの性格が分裂病(今で言う統合失調症)に似た症状であるとして面接を行った精神科医の近藤廉治は、「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている。

脚注

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 20 長野県
  • 近藤廉治『開放病棟―精神科医の苦闘―』合同出版、1975年

関連項目

  • 長野県の廃止市町村一覧

長野県:原村地図 旅行のとも、ZenTech

原村_空撮 長野県 映像制作・番組ロケ依頼・ドローン撮影はミヤテック

長野県原村

原村 深叢寺 諏訪観光連盟

【市町村観光だより】長野原町(23/06/23) YouTube