海部郡(あまぐん)は、愛知県(尾張国)の郡。名古屋西部に隣接している場所。
人口74,022人、面積40.11km²、人口密度1,845人/km²。(2025年2月1日、推計人口)
以下の2町1村を含む。
- 大治町(おおはるちょう)
- 蟹江町(かにえちょう)
- 飛島村(とびしまむら)
郡域
1913年(大正2年)に行政区画として発足した当時の郡域は、2町1村のほか、下記の区域にあたる。
- 津島市・愛西市・弥富市・あま市の全域
- 名古屋市の一部(中川区・港区の各一部)
- 清須市の一部(上条・土田・廻間・西市場および新清洲の一部)
平安時代に海西郡を分割する以前は、海津市の一部(平田町岡、平田町者結、平田町蛇池、海津町松木、海津町鹿野、海津町草場、海津町駒ヶ江、海津町立野、海津町長久保、海津町石亀、海津町森下以東)が郡域であったが、1586年に美濃国海西郡として分割された後明治時代にそのまま海津郡に編入されているため、近代以降は海部郡の郡域とはなっていない。
古代
名称の由来
「あま」は、古来より漁業や航海などの職業に携わった海人部(あまのべ)に由来するとされる。
概要
かつての郡域であった津島市内の寺野遺跡からは約2000年ほど前の弥生時代に作られたと推定される土器や土錘が見つかっている。また寺野廃寺からは白鳳期の軒丸瓦が見つかっており、古代に大伽藍が存在したと推定される。
第1次海部郡
701年の大宝律令制定以前から、評として「海評(あまのこおり)」が置かれていた。飛鳥京跡苑池遺構から出土した678年(天武天皇7年)頃のものとされる木簡には「戊寅年十二月尾張海評津嶋五十戸・韓人部田根舂 赤米斗加支各田部金」と記載されており、この頃すでに「津嶋」の郷に1000人ほどが居住していたことが分かる。701年の大宝律令の制定により評が郡となり「海郡」となった。713年(和銅6年)以降、好字二字令により「海部郡」と記されるようになった。奈良時代の古文書である正倉院文書や927年成立の延喜式にも海部郡(あまのこおり)との記載がみられる。延喜式によると域内に「馬津駅(うまづえき)」という駅家が存在したとされ、古代東海道のルートとなっていたことがわかる。
「佐織町史通史編」によれば平安時代後期すなわち11世紀頃に東西に分割されて海東郡と海西郡になり、海東郡と海西郡の境界は善太川の旧河道と推定されている。
郷
938年頃に成立した和名類聚抄に「海部郡」の郷として掲載されているのは以下の通り。ただし読みが特定できるものについては括弧内に記載した。
- 新屋(にいや)
- 中島(なかしま)
- 津積(つつみ)
- 志摩(しま)
- 伊福(いふく)
- 島田(しまだ)
- 海部(あま)
- 日置(へき)
- 三刀(みと)
- 物忌(ものいみ)
- 三宅(みやけ)
- 八田(やた)
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
第2次海部郡
1913年(大正2年)7月1日に海東郡と海西郡が合併して海部郡となった。海東郡役所の置かれた津島町は両郡における生活の中心地であり、海西郡の住民にとっても海西郡役所のおかれた弥富町より便が良かったため、郡制施行以来長年の懸案だった。もっとも1921年(大正10年)には郡制そのものが廃止され、郡役所も1926年(大正15年)に廃された。
2005年3月時点では全国で一番人口の多い郡だったが、愛西市の誕生により福岡県糟屋郡に次いで2位に、弥富市の誕生で愛知県知多郡に次いで3位となった。2020年7月現在はあま市の誕生で19位である。
沿革
- 大正2年(1913年)7月1日 - 海東郡・海西郡の区域をもって発足。以下の町村が所属。(3町16村)
- 旧・海東郡(2町10村) - 津島町(現・津島市)、蟹江町(現存)、佐屋村(現・愛西市)、永和村(現・津島市、愛西市、弥富市、蟹江町)、神守村(現・津島市)、美和村、七宝村(現・あま市)、南陽村、富田村(現・名古屋市)、大治村(現・大治町)、甚目寺村(現・あま市)、佐織村(現・愛西市)
- 旧・海西郡(1町6村) - 八開村、立田村(現・愛西市)、市江村(現・愛西市、弥富市)、弥富町、十四山村(現・弥富市)、飛島村(現存)、鍋田村(現・弥富市)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)4月1日 - 佐織村の一部(古川)が津島町に編入。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和7年(1932年)8月1日 - 甚目寺村が町制施行して甚目寺町となる。(4町15村)
- 昭和14年(1939年)11月3日 - 佐織村が町制施行して佐織町となる。(5町14村)
- 昭和18年(1943年)1月1日 - 甚目寺町の一部(土田・上条)が西春日井郡清洲町に編入。
- 昭和19年(1944年)2月11日 - 富田村が町制施行して富田町となる。(6町13村)
- 昭和22年(1947年)3月1日 - 津島町が市制施行して津島市となり、郡より離脱。(5町13村)
- 昭和24年(1949年)6月1日 - 南陽村が町制施行して南陽町となる。(6町12村)
- 昭和30年(1955年)
- 1月1日 - 神守村が津島市に編入。(6町11村)
- 4月1日(7町8村)
- 佐屋村および市江村の一部(西保・東保・西条・東条・本部田)が合併して佐屋町が発足。
- 弥富町・鍋田村・市江村の残部(楽平・佐古木新田・又八新田)が合併し、改めて弥富町が発足。
- 10月1日 - 南陽町・富田町が名古屋市に編入。(5町8村)
- 昭和31年(1956年)4月1日 - 永和村が分割し、一部(半右衛門新田・頭長・唐臼・鹿伏兎・中一色)が津島市、一部(大井・鰯江新田・大野新田、善太新田の一部)が佐屋町、残部(善太新田の残部)が十四山村と蟹江町にそれぞれ編入。(5町7村)
- 昭和33年(1958年)1月1日 - 美和村が町制施行して美和町となる。(6町6村)
- 昭和41年(1966年)4月1日 - 七宝村が町制施行して七宝町となる。(7町5村)
- 昭和50年(1975年)4月1日 - 大治村が町制施行して大治町となる。(8町4村)
- 平成17年(2005年)4月1日 - 佐屋町・立田村・八開村・佐織町が合併して愛西市が発足し、郡より離脱。(6町2村)
- 平成18年(2006年)4月1日 - 弥富町が十四山村を編入のうえ市制施行して弥富市となり、郡より離脱。(5町1村)
- 平成22年(2010年)3月22日 - 七宝町・美和町・甚目寺町が合併してあま市が発足し、郡より離脱。(2町1村)
変遷表
備考
- 海部地域盛り上げ隊(AMT)- 愛知県海部地域4市2町1村のアイドルグループ、メンバーは愛知県のアイドルユニットP-LOCOから選抜。
行政
- 歴代郡長
脚注
出典
注釈
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4040012305。
関連項目
- 海部郡 (曖昧さ回避)
- 愛知県第9区

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